郡司住宅産業株式会社
ご挨拶
自社ビル・グンジビル外観
(平成11年5月竣工)

電話番号 会社 0463 (83) 0510
電話番号 自宅 0463 (81) 0011
1Fテナント2店舗
駐車場4台あり

郡司(ぐんじ)Yahoo百科事典トップ・歴史・日本史その他・有識故実)
           「日本大百科全書・小学館」

律令制(りつりょうせい)下において、国司の管轄下にあって郡務を担当地方官.大宝令(たいほうりょう)制定以前に郡は評(ひょう)と記し長官を評督(じょうとく)次官を次督といい、実務担当を置く三等制であった(天武(てんむ)朝以降四等管(しとうかん)制となる。なお評の官人を評造(こうりのみやつこ)ともいった。大宝令の施行後、評は郡に改め、長官を大領(だいりょう)、次官を小領(郡領と称す)として、主政、主帳を実務担当者とするが、郡の規模により郡司の定員に差がある。郡領の補任(ぶにん)は性識精練にして時勤に耐える者、主政、主帳は書算に巧みな者をあてる才用主義を令の原則としたが、おおむね諸第(ふだい)主義により国造を(くにのみやつこ)や県主(あかなたぬし)などの伝統的な豪族の子弟が世襲的に郡領に補任された。郡領は終身官で、郡領に補任されると、無位であってもただちに従(じゆ)八位上、従ハ位下を授けられる官位非相当の官である。また郡領には識分田(しきぶんでん)が与えられるが、大領のそれは国守より、その子弟は優先的に国学に入学できるなど、、多くの特典は与えられた。しかし主政、主張にはこのような特典はない。それに彼らは身分的に郡領と差異が大きく、郡領に昇進するのも容易ではなかった。郡司制は、特に補任の方法((才用、諸第主義)をめぐって変遷があったが、9世紀初頭に2譜第主義が定着した。<BR>そのころから生任郡司のほかに、権任(ごんにん)、員外、疑任(ぎにん)の郡司が置かれ、一郡に複数の、疑任(ぎにん)郡司が置かれたが、10世紀に入ると国司代、国目代(もくだい)がそれにかわり、それらが11世紀以降の在庁官へと発展したのである。その頃に郡司も一郡一員制になった。
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